before あるご家族と
築50年マンションの歩み
昭和30年代、活気あふれる浅草で最初に建てられたマンションにご入居されたA様ご家族。
かつて賑やかだった住まいは半世紀という年月を経て、一度はその使命を完全に終えたかに思われましたが、
人生の大切な時期をここで過ごしたご家族の選択は、リノベーションという方法でした。
当時は憧れのマンション生活。長屋のような人情味と都心生活の利便性があり、ご近所同志が一体で子育てできる好環境でした。
2人のご兄弟が成長するにつれ、手狭さや断熱性など徐々に問題が浮上。やがて息子さんたちが独立して、ご両親おふたりの住まいに。
お父様が亡くなり、一人暮らしとなったお母様。病気を機に、健康や安全面も心配なマンションを離れ、近くの賃貸マンションへ。
仕事場が近いA様が、帰りの遅い平日用の寝泊り場所として使うように。住みにくさと同時に、慣れ親しんだ家への愛着も再確認。
「この場所に今の家族の暮らしに合った家をつくりたい」とセキスイに相談。壁、床、配管などすべて改修するリノベーションを採用。
A様ご家族の歴史
- 1960年代 家族4人でご入居
- 当時は憧れのマンション生活。長屋のような人情味と都心生活の利便性があり、ご近所同志が一体で子育てできる好環境でした。
- 1980年代 A様ご兄弟独立
- 2人のご兄弟が成長するにつれ、手狭さや断熱性など徐々に問題が浮上。やがて息子さんたちが独立して、ご両親おふたりの住まいに。
- 2009年春 お母様もとうとう引越し空き家に
- お父様が亡くなり、一人暮らしとなったお母様。病気を機に、健康や安全面も心配なマンションを離れ、近くの賃貸マンションへ。
- 2009年秋 A様が使い始める
- 仕事場が近いA様が、帰りの遅い平日用の寝泊り場所として使うように。住みにくさと同時に、慣れ親しんだ家への愛着も再確認。
- 2013年 リノベーションを決意
- 「この場所に今の家族の暮らしに合った家をつくりたい」とセキスイに相談。壁、床、配管などすべて改修するリノベーションを採用。
家族の想い出もいっぱい。
でも、住みづらさも、いっぱい…
周辺の商店がこぞって購入した、当時東京でも初期のマンションにA様がご入居。長屋のようなアットホーム感と、都心の利便性を備えた最先端の住まいでした。
隅田川の花火大会では友人や親戚たちが集まり、玄関には履物が入りきらないほど。「おもてなしに手一杯で、私はゆっくり花火を見たことがないんですよ」と懐かしそうなお母様。
人気の住まいも築年数を重ねると、狭さや断熱性などの悩みが次々に。「窓際は隙間風がひどく、受験勉強は寒さとの戦いでした」とA様。
時代ごとに間取りや設備を変更するものの、住み心地の抜本的な解決には至りません。「立地や環境はいいけれど、ここにずっと住めるだろうか?」。
そんな心配はすぐ近くまで迫っていました。
子どもたちが巣立ち、お母様も。でも、この場所を手放したくない
決定的になったのは、ご兄弟が独立し、お父様が亡くなった後のこと。一人暮らしのお母様が病気の際、「冬の寒さによるヒートショックや結露のカビなど心配が多く、ここに母を置いておくわけにはいかない」というご兄弟の勧めで、お母様は慣れ親しんだマンションを出て賃貸住宅に移りました。
住み手を失った住まいは、近くに仕事場を持つA様が平日に使う通勤用の仮住まいに。「住み替えも考えたけれど、なぜか手放す気になれなかった」とA様。
改めて実家で過ごすうち、「生まれ育ったこの町で今の家族がまた集まれる家をつくりたい」という想いが強くなったのです。
やっぱり、ここで暮らしたい。また隅田川の花火を家族で!
見た目がキレイになるだけでなく、住まいの基本性能を改善しなければ意味がないと考えたA様は、セキスイからリノベーションの話を聞き、お母様やお兄様とも相談してを決意。「断熱や配管処理など、見えない部分も含めて全体を一新できるのが魅力でした。最初はあまり乗り気でなかった母や兄もすごく期待してますよ。気に入ってもらえたらまた母をここに呼び戻せるかな?みんなの反応が楽しみですね」。
スカイツリーも完成し、新たな賑わいを見せる浅草界隈。老朽化した住まいの問題さえ解決できれば、また花火大会に大勢で集まることも可能に。離れて暮らすご家族を結びつけ、これから始まる幸せのあり方を提案することもリノベーションの目的なのです。
after 築50年の新居、誕生
以前との大きな違いは、細かく空間を仕切るのをやめ、大きなひとつの空間にプランニングしたこと。
美しい眺望を、部屋のどこに居ても感じられます。
「家族はもちろん、また昔みたいに大勢人を呼んでにぎやかな家になりそう」、ご家族もご満足のご様子でした。